世界観を見るFF9 リンドブルム編

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FF9を2年以上かけてプレイしている。そんなに時間がかかっているのには理由がある。

  • 戦闘が多いのがツライ
  • マップで迷子になりやすくてツライ
  • 脳が疲労しすぎて「新しいストーリー」が読めない

据え置きゲームの利点というのか、ストーリーがとにかく次々展開して休む間が無いので、なんだかとても疲れてしまう。それに加えて、迷子になりすぎて疲労&戦闘が多くて疲労で何ヶ月かおきにプレイしている。いつクリアできるんだろう……。

でもFF9の世界にはとても魅力を感じているし、ストーリーも面白くて、最後まで見届けたいと思っている。

今回は、そんなFF9の中でもとても楽しかったリンドブルム探索を記事にまとめることにした。(ちなみに探索したのは去年の夏だった)

リンドブルムには時計がたくさん

FF9のリンドブルムは技術大国だ。空を飛べる船「飛空艇」を開発している工業国家である。

それを実感するのが、時計の多さ。

リンドブルムには複数の区があり、各区をエアキャブ(小型飛空艇)で移動できる。その駅に大きな時計があり、振り子が揺れている。

駅から出てすぐの大通りにも時計が建っている。町に入ってすぐに目に入る時計なので、来訪者や帰って来た人はここでまず時刻を確認するのだろう。

工業地区の店にも時計があった。これだけ多くの時計があるのは、住民がみんな時計を確認しながら暮らしているからに違いない。

別の区には、元々日時計だったのだろうと思われる時計がある。工業が発展する前は、ここの大きな日時計を頼りに町を発展させてきたのではなかろうか。

このような時計の多い町は、FF9では珍しいと感じる。リンドブルムの機械技術を表現した町並みだと思う。

リンドブルムは芸術を重んじる町

もう一つ発見したのは、リンドブルムでは芸術が盛んだということだ。

リンドブルムには劇場があり、他国でも評判が良い。オープニングでは「リンドブルムから来た劇場艇の公演」が他国で大きな話題になっているところが見られる。劇場には人気俳優もおり、庶民も演劇を楽しんでいるようだ。

だが、そのほかにもリンドブルムではさまざまな芸術が楽しまれているようだ。それがわかるのが「リンドブルム展」の知らせ。芸術家らしき人の家に貼られている。

この文字数で「歴史の長さ」「美術展(絵画展?)であること」「教会の壁画を描くのが名誉あること」と伝わるのは素晴らしい。

芸術を重んじると感じたもう一つの理由として、「シド8世像」がある。シドとはこの国を率いている人の名前で、世襲制のようだ。偉大な父親の像を作って町に飾ることが、敬意の表現となる町なのだとわかる。

宮殿内では「宮中職人」が作成した像が展示されている。宮殿に仕える芸術家が存在するようだ。宮殿に自分の作品を展示してもらえるとは、さぞかし誉れ高いことなのだろう。

また宮殿の中にはシド1世の生誕を記念した作品もある。生誕500周年とは、シド1世が偉大な人物として長く尊敬されていることを窺わせる。

短いセリフや文章から世界観が伝わる

リンドブルムで感動したのは、短いセリフから世界観がしっかりと伝わってくることだ。

なんとエアキャブは年中無休で24時間運行。駅員やエアキャブ操縦者(たぶんいる)も年中無休で24時間の勤務体制なのだと思われる。技術大国らしいハードな勤務である。3交代とかしているのだろうか。深夜営業の店もあるのかもしれない。

観光客のセリフではこういうものがある。

FF9の世界では、他国では鉄材で家なんてとても建てられないらしい。それをリンドブルムでは当たり前のようにやっている。これもまた優れた金属加工技術のある国だとよくわかるセリフだ。

また残念ながら画像はないのだが、子どもが「大きくなったら技師になって飛空艇を作る」というような話をしていたと思う。飛空艇技師が子どもの憧れの職業だ、そのくらいの花形産業だということが、その一言だけでわかってしまうのだ。

「教会」は宗教の場というよりも、狩猟の伝統を伝えるための場所のようだ。

リンドブルムでは伝統を忘れないため「狩猟祭」という祭がある。教会の壁画も歴史的な行事が描かれているのかもしれない。

庶民が立ち寄っているのであろう店では、こんな看板も。

わざわざ「新鮮なミルクを直送」と書いているくらいだから、徒歩で買いに行くのは大変な場所なのだろう。新鮮なミルクを鮮度を保って遠くまで運ぶのは文明のなせる技である。

こんなことを考えながらリンドブルムを歩き回っていたら、1時間近くストーリーが進まなかった。

まとめ

ぼくは、ゲームの世界観の作り込みはゲーム内で窺い知れるのが最も理想的だと思っている。

設定資料集で「ゲームをプレイするだけではわからなかったこと」が語られるのも面白いのだが、ゲームの中で語る余裕がなかったことを他の商品で提示するのはどうなのだろう。言わなかったこと、表現しなかったことは作品の中に存在しないも同義ではなかろうか。外部資料に頼らなければ伝わらないことは、「表現できた」と言えないのではなかろうか。

近年のゲームは情報量が豊富になっており、マップの作り込みも上がり、モブ的なNPCのセリフも増えた。だが、昔のゲームの「限られた情報量から豊かな世界観を伝える」という作り方にぼくは職人技を感じる。

そしてFF9の作品の細かいところにそれを感じ、見て回り始めるとキリがない。

もうちょっと戦闘が少なければ、もう少し疲れずに進められたんじゃないかと思う……。クリアまで頑張る。

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